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「迷いから確信に進む」イザヤ53:4~6

 

 新型コロナウィルスから生じている「命と死」につながる脅威も、キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。神とキリストの私たちへの愛は、何が起こったとしても変わりません。

 預言者イザヤは、イエスが十字架につけられる700年以上も前に、「受難のしもべ」の姿を描いていました。イエスは、私たちの罪を負い、罪の刑罰から来る痛みを私たちに代わって担いました。しかし当時のユダヤ人指導者たちも群衆たちも、そして現代の人たちも、イエスの苦しみは、身から出たさびと思いました。

 しかしイエスは、私たちの神に対する背きと咎のために十字架に突き刺され、砕かれたのです。羊が羊飼いから離れてさまよっているように、人は造り主なる神から迷い出ています。私たちは、羊のように、弱い存在であり、目の前のことしか見る事ができません。羊飼いなる神に、いのちの泉に、緑の牧場に導いていただかなければなりません。

 父なる神は、御子イエスに、私たちのすべての罪を負わせられました。御子は、預言の通りに私たちの身代わりとなって十字架で神からの懲らしめを受けられました。十字架の贖いによって私たちに平安といのちが与えられました。私たちは、キリストにある神の愛を確信していきましょう。罪の赦しと永遠のいのちを味わっていきましょう。