· 

「神はご自身の霊を授けられる」エゼキエル36:22~28

 

 御子イエス・キリストが復活されてから50日目(=ペンテコステの日)、イエスが約束して下さった聖霊が弟子たちの上に降って来られました。弟子たちは、聖霊に満たされ、聖く歩み、神なる主の聖さを現していきました。

 聖霊は、神の聖い霊です。聖霊は、弟子たちと同じようにイエスを神の子・救い主と信じる全ての人たちの上に降って来てくださいます。信徒を聖なる者とし、聖く生かし、聖い働きに進ませてくださいます。

 神なる主は、聖霊降臨の600年も前に、預言者エゼキエルを通して、信じる全ての人々に聖霊を与えることを預言しておられました。主が選ばれたイスラエルの民は、カナンの地において主の掟と定めを破り、自分たちを汚していました。主は、彼らの行いに応じてさばきを下されました。ユダの王国は滅び、民は、バビロンに捕らえ移されました。しかし民は、異国の地においても、なお罪を重ねていきました。

 主を知らない国々は、イスラエルの民の汚れを見て、主を侮りました。イスラエルの民に対する主のさばきを見て、罪に対する主の厳しさよりも、敵から民を守る事さえできない無力な神と判断していました。イスラエルの民は、悪を行なうことによって主の御名を汚していました。それでも主は、彼らを用いて、御名を聖なるものにしようとされました。

 神なる主は、ご自分の聖なる御名を回復するために、ご自分の民に働きかけられます。主は約束の地カナンに民を連れ戻し、民を汚れから聖められます。主は、民の体から頑なで反抗的な心を取り除いて、柔らかく従順な心を与えられます。主は、ご自分の御霊を民のうちに授けて民が神の律法を行えるようにされます。主が彼らの神となり、彼らは主の民となります。

 民は、神の律法を大切にし、もはや偶像を拝んで生きるのではなく、彼らの神である主を礼拝し、仕えて生きていくようになりました。主は、彼らの神となり、民は、神の民となりました。民は、神なる主と一体となって生きることによって、主との豊かな交わりを築いていくことができたのです。

 神なる主は、エゼキエルを通して語られた預言を、御子イエスによって私たちのうちにも実行してくださいました。主は、①御子の血によって私たちを罪と汚れから聖めてくださいました。②私たちの心と霊を新しく造りかえてくださいました。③新しくされた私たちの心と霊に御霊を住まわせて、神の律法を行なわせてくださいます。④私たちの神となり、私たちは神の民となっています。⑤神の御国に入れられて御国の世継ぎとされています。

 私たちの言動が、父なる神と御子イエス・キリストの名と尊厳を高めることもあれば、低めることもあります。キリスト者として日々の生活と言動をきよめ、善き証し人として歩んでいきましょう。