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「隣人を悪く言わない」ヤコブ4:11~12

 

 私たちは、ややもすれば他人の悪口を言ってしまいます。人を励まし、人の成長に役立つことのために私たちの口を用いるのではなく、人を傷つけ、人格を損なうことに使ってしまいます。悪口は、私たちの中にある悪い欲望・ねたみや敵対心から出て来ています。私たちが自己の欲望を満たすことを追い求め、造り主なる神に敵対し、隣人をないがしろにするならば、悪口を平気で言ってしまいます。私たちは、思いと行いを改めて、神と人に対して謙遜な者となり、愛の戒めを行なうことを追い求めていきましょう。

 キリスト者は、神の御子イエス・キリストを信じて、神の愛を受け、神の子どもとされ、互いに兄弟姉妹とされました。ですから私たちは、互いに愛し合う事を求めるべきであって、互いに悪口を言い合ってはなりません。自分の隣人や兄弟姉妹を悪く言って、さばいている人は、神の律法・戒めを悪く言って、さばいているのです。そのことは、神を悪く言って、さばいているのと同じです。私たちは、本来は神の律法を行ない、律法によってさばかれる存在なのに、高慢になり、律法をさばいています。悪く言わないで、神と律法を敬っていきましょう。

 天と地とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、唯一です。神は、人に対して、生きている時も、死んだ後も、生殺与奪の権をもっておられます。人を救うこともできれば、滅ぼすこともできます。私たちは、さばき主なる神を恐れなければなりません。隣人や兄弟姉妹の悪口を言ってさばくなら、私たちは神に取って代わり、他の人たちをさばいている事になります。神だけが、ご自身の律法を制定し、その律法に基づいて、人をさばかれます。何人も、神の位置に立つ事はできませんし、立ってはならないのです。

 私たちは、イエス・キリストを知らないで生きていた時は、神と敵対していました。しかし自らの罪を認め、悔い改めて、御子イエスを信じてからは、キリストによって神との平和を得ています。私たちは、神に赦され、受け入れられ、愛されています。神は、私たちの味方となってくださっています。もし神が、私たちを直接にさばかれるとするなら、私たちにはゲヘナ(=地獄)以外に行き場所はないでしょう。なぜなら自らを神とし、神に敵対し、神の律法を破っているからです。そんな私たちをも、神は、イエスの身代わりの死のゆえに赦してくださっています。ですから私たちも、互いに赦し合い、成長に役立つことばを話し合い、神の恵みを与え合っていきましょう。