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「主の救いの御腕が現れる」イザヤ52:13~53:3

 神は、ご自身の「聖なる御腕」を、ご自分の民イスラエルだけで

はなく、すべて造られた人々に現わす事を計画されました。「聖な

る御腕」は、御子イエスを表しています。神もイエスも、聖なるお

方です。

神は、御子を通して、全ての人を招いておられます。世界の果て

にいる人々も、神の御声を聞き、神の救いに与ることができます。

神の呼びかけに応えて、神と御子を信じる人は誰でも、御子の十字

架で流された聖い血と神の聖霊の内住によって聖くされています。

 預言者イザヤは、イエスを「栄光のしもべ」として描いています

。「高められ、上げられ、極めて高くなる」と預言されたしもべの

地位は、イエスが十字架で死に、復活され、昇天され、神の右の座

に着かれたことによって実現しました。

 イザヤは、イエスを「受難のしもべ」としても描いています。体

も魂も霊も十字架上で激しく損なわれ、イエスの苦悩は極みに達し

ました。十字架処刑を見ている人々は、イエスの惨めな有様に驚き

ます。その驚きは、ある人達を悔い改めに導き、ある人達を頑なに

します。

 イエスが救いの福音を語られた時、弟子たちはイエスを神の子・

キリスト・救い主と信じていきました。しかしユダヤ人指導者たち

の多くは、イエスに敵意を抱き、イエスをさげすみ、のけ者にし、

殺そうとしました。イエスは、彼らから迫害を受けながらも、病気

の人たちや痛んでいる人たちを癒し、彼らの病と痛みを担われまし

た。

 神が、すべての咎をイエスに背負わせられたので、私たちは、罪

を赦され、神に立ち返ることができました。イエスは、どんな不当

な訴えにも一言も答えないで、十字架の道を耐え忍ばれました。な

だめの献げ物として、ご自分を神に献げられました。イエスは、天

の御座に着き、大祭司として、信じる多くの人たちに、罪の赦しを

与え、彼らを義とし、神と人々の間を執りなしておられます。

 イエスは、私たちが互いに愛し合うように、また神とキリストを

知らない人たちに福音を伝えて、罪の赦しと神の和解を受けるよう

に働き続けておられます。私たちは、イエスに信頼し従っていきま

しょう。イエスは、ご自身の愛といのちと力を私たちに与えてくだ

さいます。私たちは、人々を愛し、人々に福音を伝えていくことが

 

できるのです。