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「十字架の苦しみ-私たちのために」マタイ27:45~54

 

私たちは、造り主なる神に、また他の人々に「なぜ」とよく問いかけます。同じ「なぜ」でも、その中身は違ってきます。「なぜ」と疑問を投げかける時もあれば、「なぜ」と非難する時もあります。イエスも十字架につけられた時に、神に「なぜ」と叫ばれました。

 しかし、イエスが十字架で発せられた「なぜ」は、単なる疑問でもなければ、父なる神を非難するものでもありません。イエスの「なぜ」は、私たちを罪から救うために受けた苦しみから出た叫びでした。

 神は、ご自分の形に人を創造されました。また人が生きていくために必要な全てのものを備えられました。私たちは、神と人を愛するように造られています。しかし、私たちは、神を無視し、人を傷つけて、罪の中に生きています。私たちは、自らの行いに対して神に申し開きをしなければなりません。自分が正しい者と主張できるでしょうか。

 御子イエスは、私たちを罪の刑罰と呪いから救い出すために、私たちに代わって、神の怒りと裁きを受け、神との断絶による底知れぬ深い暗闇を味わわれました。イエスは、私たちのために罪の刑罰と呪いをすべて引き受けて苦しみ死んでくださったのです。

 御父は、私たちを罪から救うために、愛する御子を見捨てられました。御子は、私たちを愛して、私たちのために十字架の苦しみを引き受け、御父に罰せられ、呪われ、見捨てられ、死んでくださいました。

 御子の「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」との問いに、御父は、罪のない御子を私たちの代わりに罪ある者とし、十字架で断罪し、見捨てることによって答えられたのです。

 イエスは、私たちを罪から救い出すために十字架上で苦しみ、神のもとに立ち返る道を造ってくださいました。あなたが、自らの罪を告白し、イエスを神の子・キリスト・救い主と信じて、神に立ち返るなら、神は、すべての罪を御子のゆえに赦し、御霊によって新しく生まれ変わらせ、神の子供としてくださいます。神は、罪を知らないキリストを罪とし、私たちをキリストにあって義としてくださいました。

 私たちは、十字架の苦しみを思い、神と人々を愛していきましょう。和解の福音の恵みをより深く味わい、福音を伝えていきましょう。