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「祈る教会」 使徒12:1~5  飯田浩章兄

冒頭に出てくるこのヘロデ王とは、イエス様がお生まれになった時に、東方の博士をだましてイエス様を殺そうとしたあのヘロデ王の孫にあたります。ヘロデは先ずヤコブを殺して、次はペテロを殺そうとして牢屋に閉じ込めました。教会はというと、ペテロの救出のために熱心に祈りました。しかし、処刑前日にペテロは主の御使いの導きによって牢屋から逃れ、他の弟子たちのもとに帰りましたが、弟子たちはペテロが帰ってきたのを信じませんでした。彼らはペテロの為にペテロが救われるように祈っていたはずです。でもその奇跡を信じることが出来ませんでした。

私たちはどうでしょうか。祈りは献げているが、心のどこかでそんなこと起きるわけがないと思っていることはないでしょうか。祈ったって現実は変えられないのではないか。だから祈るよりも自分で何とかしなければという思いがあるために、完全に信じ切った思いで神様に祈りをささげていない場合が多いのではないか、と心が探られます。「主よ、助けてください」と祈りつつ、そんな現実を前にして、祈りは献げているが、無理なのではないかと思ってしまう弱さが、私たちにはあります。しかしそんな不信仰な祈りでも、神様は聞いてくださるのです。そのような欠けだらけの祈りでも聞いてくださるのです。なんという神様でしょうか。こんな小さきものの、欠けだらけな者の祈りを聞いてくださるのです。自分の不信仰と闘いつつ、100%の信仰の祈りをささげられなくても、とりなしの祈りを献げ、個人的な祈りを献げ、聞かれた祈りに感謝していく生活は素晴らしいことだと思います。あなたも私も祈りを通してますますその恵みにあずかりましょう。