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「試練に耐える方法」 ヨブ9:15~18

人生に試練はつきものです。その試練をどう受けとめるかによって人生は変わってきます。肯定的に受け入れて明るく生きるのか、否定的に捉えて悪く考えてしまうのか。希望をもって神に助けを求めて祈るのか、失望して神を責めてしまうのか。まことの神を信じる信仰者こそ、試練を最大限に活かして、神から良きものを受け取ることができるのです。

神を恐れ正しく生きていたヨブは、数々の試練にあいました。ヨブは試練に耐えていましたが、あまりの苦しさに神に叫び求めました。正しく公平な神が「理由もないのに」どうして自分を苦しめるのか、といぶかりました。ヨブにとっての最大の苦しみは、試練を受ける理由が見いだせず、神との信頼関係がくずれていったことです。私たちは、自分たちの限られた理解や経験では知り得ない理由が試練にはあることを認めていきましょう。

ヨブは、自分を正しい者とし、神を悪い者にしました。ヨブは、神に対して高慢になっていたことを悔い改め、謙遜になりました。試練の理由が分からなくても、神は正しく公平で善い方であることを信じ続ける大切さを悟りました。私たちも、神が試練を許される理由が分からなくても、神は正しく、公平で、善いお方であると信じていきましょう。試練も含めて、人生に起こるすべての事は善いことのためであると確信していきましょう。

私たちは、自分の行いによって神の前に正しい者として立つことはできません。それゆえ、神は御子イエス・キリストの十字架での贖いによって私たちの罪を赦し、御子の復活によって私たちを正しい者としてくださいました。御子は、「仲裁者」として、神と私たちの間に立ち、神の正義と愛を現してくださったのです。私たちは、御子によって罪を赦され、正しい者とされている恵みを覚えていきましょう。試練には神の深い計画があることを知り、試練の理由が見いだせなくても、神は愛なる方である事を信じていきましょう。