「試練の中に見る祝福」 ヨブ記19:21~27

試練という黒雲があなたを覆う時、あなたは、悲しみや苦しみがあまりにも大きいために、神を見失い、神の祝福は取り去られてしまったのではないかと感じるかもしれません。しかし、あなたが神の祝福を失ったと思っている時でも、神はいつもあなたの上におられて、ご自身の祝福を注ぎ続けておられるのです。

ヨブは、神を敬い、悪から遠ざかり、誠実で正しい人でした。そのヨブに呪いと思われる試練が次から次へと襲ってきました。ヨブは、神が自分を不当に苦しめていると考えました。ヨブを責め立てる3人の友も自分を見捨てたと思いました。ヨブも友も、神の許可の下、サタンがヨブの持ち物と肉体を打っていることに気づきませんでした。

ヨブは、自分の主張が石や岩に刻み込まれて後生に残ることを願いました。もう一方で、自分と神との間をとりなす「贖う方」が天から来られることを待ち望んでいました。「贖う方」は、神とヨブとの間をとりなし、ヨブの保証人となり、犠牲を払って、ヨブを救い出してくださる方です。ヨブは、救い主イエスの誕生を預言していたのです。

神は、ヨブに現れ、高慢の罪を知らされます。ヨブは、神の前にへりくだり、悔い改めます。神は、ヨブの体を元どおりにし、持ち物を2倍に祝福されました。ヨブはまた、試練を通して、神に会い、神を見る祝福にあずかりました。私たちは、贖い主なるイエス・キリストを信じて、神の救いにあずかっています。試練を通して、より深く神を知っていくことができます。試練を経験する中でも、神に文句を言うのではなく、神に信頼し、神との交わりを深めていきましょう。