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「祈る父親になりましょう」テモテ第一2:1~8

私たちは、神の子どもとして父なる神に祈ることができます。神は、私たちの祈りを聞いてくださいます。神は、私たちを愛しておられます。神の愛を覚えて、私たちも神と人々を愛していきます。私たちは、祈ることによって神と人々に対する愛を表していくことができます。すべての人のために祈ります。為政者たちのために祈ります。彼らのために願い、祈り、執りなし、感謝を献げていきましょう。

 私たちが祈りを献げるのは、彼らのためだけではなく、私たちのためでもあります。私たちは、神と人々に支えられて生活しています。すべての人々が各々働き、為政者たちが善い政治を行うなら、社会の安寧と平和は保たれ、私たちも安らかで静かな生活を送ることができます。神を敬い、畏れ、礼拝し、人々に善い証しを立てることができます。私たちの祈りは、人々にとって善きものとなり、神に喜ばれるものとなるのです。

 私たちの神は、救い主なる神です。神は、すべての人が罪と死と悪魔の支配から救われて、義といのちと神の支配に移されることを願っておられます。神は唯一であり、神と人々との間の仲介者も唯一であり、神が人となられたキリストです。キリストは、十字架でご自分の命を身代金として支払い、私たちを罪の奴隷から解放し、神のしもべとして買い戻してくださいました。この贖いは、神が定められた時に行われた、私たち人間に対する愛と真理の証しです。この証しのためにパウロは、宣教者、使徒、教師に任命されました。

 パウロは、男性たちにどこででも、きよい手を上げて祈るように願っています。教会において、家庭において、遣わされた所で祈るように勧めています。怒ったり、言い争ったりするのではなく、神と人々を愛し、祈っていくように教えています。私たち父親は、怒りや争いや、その他どんな汚れをも捨てて、柔和と和解と神の聖さを身に着けて祈りに励んでいきましょう。