· 

「あなたの苦しみを担われたイエス」マタイ27:45~56

聖書は、創造主なる神の存在と働きを伝えている書物です。神が創造した人と世界を観察する時、私たちは神の偉大さに気づきます。神は、人をご自分に似せて、ご自分の形に造られました。神が人を愛しておられるように、人も神と人々を愛するように造られています。しかし私たちは、神を無視し、人を傷つけて、罪の中に生きています。私たちは、自らの思い・言葉・行いに対して神に申し開きをしなければなりません。私たちは、自分が罪のない正しい者であると神の前に主張できるでしょうか。

 人生には、さまざまな苦しみがあります。人は苦しみにあう時、神や人に対して「なぜ」と問いかけます。なぜ苦難を受けなければならないのかと疑問に思い、神や人に対して非難する気持ちが湧いてきます。神の子イエス・キリストも十字架につけられた時、父なる神に「なぜ」と叫ばれました。しかしイエスの「なぜ」は、私たちの発する「なぜ」とは本質的に違いました。神と人々を愛するゆえに受けた苦しみから出た叫びでした。

 イエスは、十字架上で私たちに代わって神の怒りと裁きを受け、神から断絶されて深い暗闇を経験されました。私たちのために罪の刑罰と呪いをすべて引き受けて苦しみ死んでくださいました。御子の「わが神、わが神。なぜわたしをお見捨てになったのですか。」との叫びに、御父は罪のない御子を私たちの代わりに罪ある者とし、十字架で断罪し、見捨てることによって応えられたのです。

 人は、十字架で苦しむイエスに出会って、自らの罪の深さを知ります。イエスは、あなたが罪から救われて神に立ち返る為に十字架で苦しまれました。あなたが、自らの罪を告白し、イエスを救い主と信じて神に立ち返るなら、神は、御子の故にあなたの罪を赦し、御霊によってあなたを神の子供に造り変え、天国に入れて下さいます。未信者の方は信じましょう。信者の方は主に従い仕えていきましょう。