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「善を行えない私」 ローマ人への手紙7:14~20

私たちは、自分勝手な思い込みや勘違いで、物事を決めつけてしまうことがあります。神のみことばとみわざに対しても間違って理解することがあります。神の律法に従って、善を行い、悪を退けたいと願っても実行できない時、私たちは自分を責めてしまいます。しかしパウロは、私たちのうちにある罪が問題であることを示しています。

パウロは、律法が聖なるもの、正しく、善いものであることを知っています。もう一方で、律法を知り、行なおうとしている自分は、罪に支配されている弱い者であり、神の律法を守ることができないことも自覚しています。パウロは、律法を行いたいと願えば願うほど、自分のうちに罪がよりいっそう猛威を振るい、自分を支配し、悪を行なわせることに悩み苦しみます。

私たちは、神の律法に刺激されて、良いことを行いたい、悪いことをしたくないと強く願っていきましょう。そうすれば、自分のうちに、即ち自分の肉体のうちに善が住んでいないことと、悪が住んでいることがはっきりとわかってきます。その上で、自分では善を行えず、悪を行ってしまうことを認めましょう。もはや自分に拠り頼むのではなく、キリストが行ってくださった罪と律法からの解放に心を向けていきましょう。

罪が敵であると見極めれば、私たちは罪に対して敵対し、戦い、勝利していくことができます。そうでなければ、罪と仲良くなり、真に悔い改めることも難しくなります。①神のしもべとされた私たちは、古い主人である罪に自分の体を献げないで、新しい主人である神に献げていきましょう。②聖霊によって神に仕えている私たちは、内住される聖霊に頼り従い、助けられて、善を行い、悪を退けて、罪に勝利させていただきましょう。