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「御霊の与えるいのちと平安」 ローマ8:5~8

私たち人間は、死に対する不安の中に生きています。造り主なる神は、私たちにご自身のいのちを与えて平安を造り出してくださいます。神は、御子イエス・キリストによって私たちに罪の赦しと罪からの解放を与えてくださいました。それによって、私たちが肉の欲望に任せ従って生きるのではなく、神の御霊に頼り従って生きる道を造ってくださいました。私たちは、いのちの御霊に従って、神の聖く、正しい、愛の律法を行うことができるのです。

パウロは、肉の欲望に任せる生き方と御霊に頼る生き方とは、全く正反対の経過と結果になることを示しています。私たちは、神のみことばを心に留め、前者と後者の生き方の違いを知り、御霊に頼り従って生きていくことを選んでいきます。御霊に従っていくには、肉体の訓練と同じように練習し、継続し、自分のものとなるように励んでいきます。御霊に頼り従っていけるように祈っていきます。

キリストを信じる前には、いのちの御霊は私たちには与えられていませんでした。ですから、①肉の欲望に任せて霊的な死を刈り取るか、②自分の力や知恵で頑張って自分の肉体のうちに働く悪い欲望を何とか押さえ込むしか手立てはありませんでした。しかも結果は惨めな敗北でした。私たちは、かつては肉の欲望のうちに生きていたので、神の律法に従うこともできなければ、神を喜ばすこともできなかったのです。

しかし、キリストを信じている今では、私たちは、神によりキリストのうちにある者とされました。キリストのうちにある者として、

③私たちは、神の御霊に頼り従うか、それとも肉の欲望に任せ従うかを選択することができます。私たちは、御霊に従う経過と結果に心を留め、御霊に頼り従うことの幸いと祝福を味わっていきましょう。肉の欲望に任せ従うことの惨めさと空しさを退けていきましょう。