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「福音を伝えて歩きましょう」 使徒の働き8:4~8

教会とキリスト者たちを迫害していたサウロ(後のパウロ)が主の御声を聞いて回心し、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と語る者に変えられました。このパウロのことばは福音宣教においても真理です。迫害によって散らされたキリスト者たちが、エルサレムからユダヤ・サマリアに行き、主の福音を宣べ伝えていきました。殉教の悲しみから救いの喜びが生まれてきたのです。

私たちは、神を信じ、教会に仕え、イエス・キリストを伝えたステパノが、不条理な裁判にかけられ、石で打ち殺されるなんて何と理不尽なことか、神はどうしてステパノを守ってくださらなかったのか、と思うのではないでしょうか。しかし神の考えは、私たちが考えるよりもはるかに高いものです。

使徒たちだけではなく、信徒たちも散らされた地で御国の福音を宣べ伝えていきました。執事のピリポは、サマリアの町に下り、そこでしるしを行い、福音を語りました。町の人々は、ピリポの語ることに耳を傾け、イエス・キリストを信じました。彼らは、罪を赦されて、天の御国の民となり、大きな喜びを経験しました。

私たちは、困難や試練も、迫害や殉教も、神が許される時には、善しと考え、信仰を持って受け入れていきましょう。特に、救いのみことばを伝えて行く上で遭遇する困難や試練や迫害や殉教さえも、人々の救いの喜びに繋がっていくことを確信していきましょう。

ステパノは、石打の刑に処せられている時、迫害者サウロのためにも赦しの祈りを献げました。ステパノは、主イエスに倣ったのです。主は、サウロのためにも、また私たちのためにも十字架上で赦しの祈りを献げてくださいました。主は、私たちの罪の刑罰と呪いを背負われて私たちの代わりに裁かれました。私たちは、主の大いなる愛と恵みを覚え、周りの人々に宣べ伝えていきましょう。