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「十字架の苦しみは神の御心」 イザヤ53:10~12

イザヤ書53章に描かれている「彼」は、受難のしもベであり、御子イエス・キリストを指しています。父なる神は、御子を十字架につけ、苦しみを負わせることによって、私たちに対する愛を示されました。私たちは、十字架につけられた御子を見上げることによって、私たちに対する神の愛が変わらないことを知ります。

父なる神は、私たちを罪から救うために、御子イエスを十字架につけ、砕き、痛めることを願われました。御子は、十字架で、代償のささげ物としてご自分の命を差し出し、私たちの罪を背負って、御父の願いを叶えられました。御子は、十字架の苦難にあっても、最後まで御父に信頼し従われました。御子の犠牲によって、私たちは、罪を赦され、義とされ、神の子供となっています。

御父はまた、ご自分と御子を信じる多くの人を御子に分け与えることを願われました。御子イエスが十字架に架かって以来、多くの人がイエスをキリスト・救い主と信じ、権力者も信じてきました。御子がご自分の命を捨てたので、御父は御子に多くの人を御子の所有として与え、御子はご自分を通して生まれてきた神の子供たちを見ることができるようになりました。

御子は、御父の御座の右に座り、神に立ち返る人々のために執りなし、救いに導いて下さっています。また御父のみもとから助け主なる御霊を私たちに遣わして、私たちを守り、導き、支えて下さっています。御父と御子は、ご自分の子供たちから、愛され、敬われ、礼拝されることを願っておられます。また子供たちが互いに愛し合うことを願っておられます。ですから私たちは、御霊に助けて頂いて、御父と御子を愛し、互いに愛し合いましょう。