· 

「イエスのように耐え忍ぶ」 イザヤ書53:7~9

受難週に入っています。イエス・キリストの十字架での痛みと苦しみに心を向けましょう。イエスが受けられた痛みと苦しみは、ご自分のためにではなく、私たちのためでした。大祭司の法廷で、人々がイエスに不利な証言をしましたが、イエスは黙っておられました。総督の法廷でも、人々から訴えられましたが、イエスは一言も答えられませんでした。イエスは、すべてを父なる神のさばきに任せておられたのです。

 

イエスは、指導者たちによって逮捕され、裁判にかけられ、有罪の判決を受けて、十字架で処刑されました。イエスは、殺され、地上から取り去られたのです。誰も、イエスがご自分を信じる人々のために、身代わりとなって、罪の刑罰と呪いを受けてくださったとは思いもつきませんでした。イエスは、私たちの背きの罪のために刺され、私たちの咎のために砕かれたのです。

 

イエスは、行いにおいても人に暴虐を行わず、言葉においても人を欺くことがありませんでした。それにもかかわらず、2人の犯罪人と共に十字架に付けられて死なれました。遺体は金持のアリマタヤのヨセフが新しく造った墓に収められました。イエスは、神と人に仕える上で被る試練の中でも、父なる神に信頼し従って数々の苦難を耐え忍ばれました。

 

イエスは、私たちのために十字架での苦しみを引き受けてくださいました。それは、私たちが、キリストに倣って、苦難の中でも父なる神に信頼し従って、忍耐を培うためです。私たちは、神が喜ばれる善を行いましょう。それに伴う痛みや苦しみを拒絶しないで受け入れていきましょう。私たちの痛みと苦しみを知っておられる御子イエス・キリストに倣って、キリストの御霊に信頼し従って苦難を耐え忍びましょう。