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「神が私たちのうちにとどまる」 Ⅰヨハネ4:11~16

創造主なる神は、裏切ることのないお方であり、信頼できるお方です。神はまた、私たち神の子供たちを愛してくださっています。私たちは、神が私たちを愛しておられることを確信することができます。ところが、キリスト者であっても、神とそのみことばに信頼して、神の愛を存分に受け取る人もいれば、神とみことばに信頼しないで神の愛を疑ってしまう人とがいます。どこに違いが出て来るのでしょうか。

ひとつは、御子イエス・キリストが、私たちの罪のために宥めのささげ物としてご自分を十字架に付けられたことが、どれほど大きな愛に基づいているかを知っているかどうかに関わってきます。もう一つは、神が私たちを愛してくださったように、私たちも人々を愛しているかどうかに関わってきます。私たちは、十字架に架かられたキリストを見上げ、神の愛を信じ、神が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合っていきましょう。

神は、「私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられること」、また「神がその人のうちにとどまっておられ、その人も神のうちにとどまっていること」を悟らせてくださいます。神は、①御霊を与えることによって、②御子を告白することによって、神と私たちが一つである事を明らかにしておられます。

私たちが神のように愛し与える者となるなら、神に逆らってきた私たちをどこまでも赦し、愛し、受け入れてくださっている神の愛がどれほど大きいものかを体験していくことができます。しかし、私たちが人を憎む者となるなら、私たちは神のうちにとどまることもなければ、神の愛を味わっていくこともできません。私たちが、御霊の助けによって、十字架に表された神の愛を覚え、人々を愛していく時に、私たちは、神が私たちのうちにとどまっておられ、私たちも神のうちにとどまっていることがわかるようになるのです。