生き生きとした教会を目指して 第一コリント12章4節~27節 飯田浩章兄

コリントの教会は問題の多い教会でした。問題の総合デパートと言ってもいいくらいでした。いろんな問題がありましたが、その中の一つに賜物の問題がありました。自分は特別な「霊的賜物」を所有していると言って誇り、他の人々を軽視する言動を繰り返す人々があらわれて、教会の一致を乱していたのです。それはどこに原因があるかというと、教会をただの人の集まりとして見ていこうとする教会観であるからです。

それぞれに与えられた賜物は、主の御用のために与えられたものなのです。誰か1人が大切なのではなく、お互いがお互いを必要としているということです。それが27節にかかれております。

【貴方がたはキリストのからだであって一人一人はその部分なのです。】キリストの体の部分である私たちは、みんなが同じ役割を果たすことはありません。それぞれに役割が違うのです。神様は私たちに、それぞれの持ち場、パートを必ず与えて下さっています。聖書を読んでいると、(主にあって)とか(キリストにあって)というみ言葉がたくさん出てきます。これは英語ではIN CHRISTとなっています。つまり私たちはキリストの中に結合された信徒であり聖徒なのです。お一人お一人が、主イエスと人格的な生きた関係を持っているということです。それは、キリストの愛が私たちのうちにながれ、そしてイエス・キリストを信じ、このお方によって私の人生が支えられている確信している。それが、この「主にあって」という言葉に表されているのだと思います。キリストとの結合を通じて神との関係を深めていって、お互いの交わりも深めていくことなのです。私たちの生活すべてを支配して、このキリストにあってお互いの働きが機能しあうということなのです。キリストによって結ばれた私たちが、キリストに信頼をおいて、キリストにあって賜物を発揮していくときに、素晴らしい主の働きがなされて行くのです。どうぞ、このキリストにあってと言う言葉が私たちの生活の中心となりますように。私たちはキリストのしもべとして仕えあう、生き生きとした教会を目指していきましょう。