· 

「与えられている命を感謝しましょう」 イザヤ書45:9~13

私たちは、神に信頼し従うと言いながら、造り主なる神に抗議する、わきまえのない者です。自分の計画と方法を一番善いと考えて、物事を進めてしまいます。神の方法が気に入らないと、神に文句を言い、助けを拒んでしまいます。しかし、私たちは自らの罪深さに気づき、イエス・キリストが自分の罪の刑罰と呪いを引き受けて十字架で身代わりとなって死んでくださったことを悟ります。それによって、私たちは、キリストにある神の愛と恵みを喜び、与えられている命を神に感謝するようになります。

預言者イザヤは、神が、ペルシヤ王キュロスを用いて、イスラエルの民をバビロン捕囚から救い出されることを預言しました。しかし民は、自分たちの同胞であるダビデ家から救いは出ると考えていたので、神の方法と計画に不満をいだき、神に異を唱えました。神なる主は、地を造り、天を延べ広げて、その中にあるものを創造し、イスラエルだけでなく、すべての人間を形造り、維持しておられる大いなる主権者なのです。

イスラエルの民は、傲慢になり、神に論争を挑んでいました。その姿勢は、陶器が陶器師に文句を言うような理不尽なものです。子どもが生んでくれた親にくってかかるような感謝のないものです。私たちは、謙遜になり、神に信頼し、神の方法を受け入れ、神の計画に従っているでしょうか。

神は、私たちに命を与え、生かしてくださっています。神は、私たちの人生において、すべてを働かせて、最善へと導いてくださる愛に満ちた父です。私たちは、愛と恵みに満ちた神に信頼し従って、与えられている命を神に感謝していきましょう。