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「アブラハムの信仰が義と認められた」ローマ4:1~5

アブラハムは、80歳を過ぎても、創造主なる神とそのみことばを信じ続けていきました。アブラハムは、その信仰のゆえに「信仰の父」と呼ばれています。神は、アブラハムの信仰に応えて、彼が100歳の時に跡継ぎのイサクを与えてくださいました。イサクからヤコブが生まれ、イスラエルの民が増えていきました。イエス・キリストは、アブラハムの子孫としてお生まれになり、イエスから世界中にキリスト者たちが生まれてきたのです。

 人は、神とキリストを信じる信仰によって、神の前に義とされます。行いによって義とされることはありません。パウロは、「信仰によって義とされる法則」が働いていることを示すために、アブラハムの信仰について語っています。ユダヤ人にとって、アブラハムは、行ないによって義人とされ、見習うべき理想の人物と考えられていました。しかしパウロは、アブラハムが行いによってではなく、信仰のゆえに義とされたと宣言しています。

 神は、年老いて子がなかったアブラハムに「ただ、あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない」と語り、彼を天幕の外に連れ出して「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。さらに「あなたの子孫はこのようになる」と仰いました。神が語られたことは、アブラハムからすれば不可能と思われました。けれども全能の神が約束されたので、アブラハムは神とそのみことばを信じました。

 人は不義を行っているので、行いによって義とされません。ですから神は、神とキリストを信じる方法によって、人が義とされる道を備えてくださいました。私たちは、自分ではなく、キリストを信じる信仰によって義とされている恵みを確信しましょう。神の前に自分を誇ることはできないことを覚え、神にも人にも謙遜になりましょう。義とされている恵みを思い起こして神に感謝しましょう。そして義とされる恵みを周りの人たちに伝えていきましょう。