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「信仰によって義とされる法則」ローマ3:27~31

私たちは、自分を誇り、他の人を見下げてしまうことがあります。また、自分の行いによって自分を評価し、自分の存在価値を高めようとします。しかし、聖く、正しく、愛に満ちた神とその律法に自分を照らし合わせれば、私たちは、戒めの多くを行うことが出来ず、かえって自らの悪、汚れ、罪に気づかされます。

 神は、人が律法を行えば、命と幸いと祝福を与えることを約束しておられます。律法を破れば、死と災いと呪いが来ることも警告しておられます。ただし、私たちは誰もが、神の律法を行えないという問題を抱えています。それゆえ、神は、御子イエス・キリストを信じる信仰によって私たちを義とし、永遠のいのちを与える道を備えてくださいました。ですから、私たちは自分を誇るのではなく、キリストを誇りましょう。

 唯一の神は、誰でも、どこの人でも、御子を信じる人を罪から救い出してくださいます。神は私たちの父となられ、私たちは神の子どもたちとされます。私たちは、神との交わりを回復させていただき、神から与えられるいのちによって日々生かされていきます。神は、すべての民族を救うために、御子イエスを私たちの世界に遣わしてくださいました。割礼を受け、律法を持っているユダヤ人も、割礼を受けておらず、律法を持っていない異邦人も、誰もが神と神が遣わされたキリストを信じる信仰によって義とされるのです。

 ただし、律法と信仰とは対立するものではありません。キリストを信じる信仰によって、私たちは神の律法を行うことができるのです。キリストは、私たちの罪をその身に背負い、律法によって定められている死と災いと呪いを私たちに代わって引き受けてくださり、律法の要求を満たしてくださいました。キリストはまた、ご自分の御霊によって私たちを助け強めて、律法の求める義を行えるようにしてくださいます。