「いのちの水とパン」申命記 8:1~10 林 美江子姉

私たちにとって「水」と「パン(食物)」は生命を保つための必須アイテムです。エジプトを脱出したイスラエルの民は、40年間という苦難の旅路の中で、指導者モーセに不平を言い反抗して従おうとしませんでした。イスラエルの民は、飲み水や食物がなくなると「エジプトの地で死んでいた方がよかった。荒野で飢え死にさせようとするのか。」とモーセに悪態をつきました。それは、主なる神に不平を言っているのと同じでした。

それでも、神はイスラエルの民に対して、愛と忍耐をもって荒野で養われました。ある時は苦い水を甘い水に、ある時は岩から水を出させて民の渇きを潤しました。主は、飢え死にすると訴える民に対して天からのパン「マナ」を降らせて、民のお腹を満たされました。

それは、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口からでるすべてのことばで生きる」ことを分からせるためでした。このことばは、私たちにも語られています。荒野で水とマナを与えられたイスラエルの民は、時間が経てば、喉の渇きと空腹を覚えました。寿命がくれば死を迎えました。

しかし、イエス・キリストが私たちに与えてくださる「いのちの水とパン」は、永遠になくならない水とパンです。イエス・キリストを「私の救い主」と信じる者に与えられる「永遠のいのち」です。

主イエスは「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」と語られました。

主イエスは「ことば」として来られたお方でもあります。私たちは今、直接に主イエスのみことばを聞くことはできませんが、聖書を通して聞くことができます。私たちは、肉体の命を保つための「日々の糧」と魂と霊の養いのための「みことばの糧」を食して生きるのです。主イエスから頂いた「永遠のいのち」を大切にしていきましょう。