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「十字架につかれたイエス」マタイの福音書27:32~44

御子イエスは、どうして十字架につけられたのでしょう。それは、人の罪のゆえであり、神の私たちに対する愛のゆえです。人々は、神が遣わされた御子を受け入れず、妬み、憎み、殺しました。神は、罪のない御子を十字架につけ、罪に対するさばきを下されました。

人々は、イエスを神の子として受け入れず、イスラエルの王と認めないで十字架につけました。そばを通り過ぎる人はイエスをののしりました。指導者たちはイエスをあざけりました。十字架につけられた強盗でさえイエスをあなどりました。それでもイエスは十字架から降りてこられませんでした。神の御心に従って十字架でのはずかしめを耐えられました。それは、ご自分に敵対し、苦しめる人々を罪から救うためでした。イエスはまた、彼らを赦し、彼らのために祈られました。

 イエスの十字架刑に遭遇し、イエスを「神の子・キリスト」と信じた人々がいました。

一人は、イエスの代わりに十字架の横木を背負わされたクレネ人シモンです。彼は、自分の肩に重くのしかかる十字架を通して、十字架上の「神の子・キリスト」の苦しみを深く覚えたことでしょう。

もう一人は、強盗犯罪の死刑囚です。彼の「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」との告白に対して、「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と、救いの恵みを与えられました。彼は、確かに強盗犯として十字架刑に処せられます。しかし、イエスをキリストと認め、信じたことにより天国に入れられる祝福を受けたのです。

 私たちは、イエスを十字架につけた人々と自分は違うと思っているでしょうか。私たちこそ、神の御心を痛め、神の御子を苦しめ、十字架につけた張本人なのです。あなたは、自らの罪を認め、御子イエスが身代わりとして、罪の刑罰と呪いを受けられたことを信じましょう。そうすれば、あなたの心に罪の赦しと神の愛が届いていくのです。