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「苦しみの時に神を見上げる」 イザヤ書63:7~10

神は、私たちが胎の中にいる時から、私たちを愛し慈しみ背負い続けてくださっています。しかし、試練や苦難に遭う時に、私たちは「神は私を見捨ててしまわれたのではないか」と思いがちです。その時こそ神を見上げていきましょう。

 預言者イザヤは、イスラエルの民が困難に直面している時にも、数々の恵みを思い出して、神をほめたたえ賛美しました。神は、イスラエルの民をご自分の民・子供として選び、彼らがご自分に聞き従うことを願われました。

 神は、民をエジプトの奴隷状態から救い出し、荒野の試練でも彼らを背負い続け、支え導かれました。しかし反抗期の子供が自分勝手な行動をして親の心を痛めるように、民は神に逆らい、呟き、神の聖霊を悲しませました。

私たちも、試練や苦難に遭うと、あまりの辛さ、苦しさのゆえに、主は私たちの苦しみや痛みに関心を示されず、助けの手も差し伸べてくださらないと思い悩むことがあります。

私たちは、主が、私たちの苦しみ・悲しみを共有し、私たちを引き上げ、助けるために「主の臨在の御使い」を通して働いてくださっていることを覚えましょう。

私たちは、試練や苦難を経験して、自らの弱さ・脆さ・罪深さを痛いほど知らされて、謙遜にさせられます。自分の力や知恵に頼って生きることを手放し、神である主の力と知恵に頼って生きていくようになります。

私たちキリスト者は、「神の民・神の子ども」とされました。キリストにある数々の恵みを思い起こし、感謝の日々を送りましょう。試練の時にも、神は私たちを背負い抱いてくださっていることを確信しましょう。