あんな男など知らないと言ったペテロをイエス様は見つめておられました。このイエス様のペテロを見つめるまなざしは何を物語っているのでしょう。
やっぱり裏切ったなでしょうか。そうではなくイエス様のまなざしは、サタンがあなたの信仰を揺さぶるけど、私はあなたの罪をもう赦しているよ、そしてあなたのために祈っているよというまなざしであり、立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさいというまなざしです。イエス様はペテロのことをすべでご存じなのです。イエス様に対する強い献身の気持ち、イエス様を愛している気持ちをご存じなのです。そして怖くなったら逃げ出してしまうペテロもご存じなのです。
ですからイエス様のそのまなざしは、ペテロのすべてを包み込み、どこまでもペテロをとらえて離さない愛なのです。
イエス様のまなざしには、ペテロへの失望や怒りは一切なく、ただひたすらに彼を包み込む優しさと理解がありました。この瞬間、ペテロはイエス様の無限の愛に触れ、自分の罪深さを知り、悔い改めて再び立ち上がる力を得たのです。
イエス様が過ぎ越しの食事を弟子たちと共にしたいと強く望んだのは、不完全な弟子たちを変わらぬ愛で包み、彼らのために祈り続けるというメッセージを伝えるためでした。その愛は、弟子たちが何度失敗し、不信仰に陥ったとしても、なおも愛し続けるという究極の愛です。私たちもペテロと同様に、イエス様を愛する愛はあるでしょう。イエス様のためにという思いもあるでしょう。しかし、時には不信仰に陥り、イエス様を悲しませることもあるかもしれません。しかしそれでもイエス様は、変わらぬ愛をもって私たちのために祈り続けて下さるのです。