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「いのちに溢れて歩みましょう」 エゼキエル37:1~6

創造主なる神は、私たちの肉体に「命」を与えてくださいました。同じように、私たちの霊にも「いのち」を与えてくださいます。私たちは、神の御霊を受けて神のいのちに溢れて歩み、神の望まれる働きを進めていくことができるのです。神は、2,600年も前に預言者エゼキエルを通して、私たちに霊的ないのちを与えることを約束してくださいました。

神は、ご自身の御霊によってエゼキエルを平地に連れ出し、干からびた多くの骨があるのを見せられました。これらの骨は、バビロンに捕囚されたイスラエルの民を表していました。民は、死んで干からびた骨のように、いのちを失い、希望もなく、故国から絶たれて生きていました。

イスラエルは、北王国と南王国ユダに分かれ、それぞれが滅びました。ユダの民もエゼキエルも、バビロンに連れて行かれ、捕囚の苦しみを味わっていました。しかし苦難の中でも、エゼキエルは、失望しないで、神に信頼していました。彼は、全能の神が、御霊を与えて、死んで干からびた骨のようになっていた民を生き返らせてくださると信じていました。

神は、エゼキエルを用いて、ご自身の約束を実行されました。民は、捕囚から救い出されて故国カナンに帰ることができました。民は、神の御霊に励まされて、偶像を捨て、神に仕え、背きの罪を悔い改めて、神の定めと掟を守るようになっていきました。ペンテコステの日、エゼキエルの預言の通りに、イエスの弟子たちに御霊が注がれました。弟子たちの宣教により、異邦人も、御子を信じて御霊を与えられ、神のいのちに溢れた歩みをすることができるようになりました。私たちは、私たちの霊のうちに宿っておられるいのちの御霊に頼り従い、生活のあらゆる分野で神のいのちに満たしていただきましょう。